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元気に生きているからこそ、私が発信していく意義があるー「取材者から乳がん当事者に」・前編

2023.10.04

元気に生きているからこそ、私が発信していく意義があるー「取材者から乳がん当事者に」・前編のサムネイル画像。講演する阿久津友紀さん。

阿久津さんは、2019年に国内外の賞を総なめにしたドキュメンタリー「おっぱい2つとってみたー46歳両側乳がんー」のディレクターであり、両側の乳房を失った当事者でもあります。自らががんに罹患する前から、がん患者を追ったドキュメンタリーを多数制作しており、ピンクリボン運動などにも積極的に参加。罹患して4年経った今も、WebメディアやYouTubeなどで精力的にがんに関する発信を続ける阿久津さんに、罹患前との考え方や生き方の変化、「がんを伝える」ことへの想いについて伺いました。

Profile 阿久津 友紀さん

阿久津 友紀さんプロフィール画像

大阪府生まれ。

1995年、HTB北海道テレビ入社。長年、ピンクリボン運動や乳がん患者の取材をライフワークとして続け、7本のドキュメンタリー番組を制作。2019年、両側乳がんに罹患。

HTBのWebメディア「SODANE」の編集長として乳がんと生きる姿をつづるコラムを連載し、患者と双方向の交流を続けて発信を広める。

「ピンクリボンの端と端を結ぶ」活動がライフワークに

Q.長年、ピンクリボン運動などに参加されている理由やきっかけをお聞かせください。

20年程前に会社の健康診断で再検査と言われ、札幌市内の乳腺外科クリニックに行き、待合室で若年性乳がんの女性に出会ったことがきっかけです。彼女が書いたブログが本や映画になる過程を、取材させていただいたんです。この取材をきっかけに、乳がんに関わる研究機関やNPO法人の方々と知り合いになり、ピンクリボン運動がどういう過程でできあがって、どういう風に盛り上がってきたのかをずっと見てきました。がんになる前から、乳がん患者さんを取材したりこういった活動に参加したりすることがライフワークになっていたのです。

これまで、多くの乳がん患者さんを取材させていただきました。その間に母が乳がんに罹患したこともあり、もはや自分の中で乳がんは決して他人事ではなくなっていて、人と人を繋げる、活動と活動を繋げる……私たちは「ピンクリボンの端と端を結ぶ」と言っているのですが、このような取り組みの大切さを身をもって学んだので、自分が罹患する前からずっと続けています。

Q.約20年にわたる取材、そしてご自身の罹患を通して、がんを取り巻く状況の変化やお考えの変化についてどのように感じていますか?

私は18歳のときに父を胃がんで亡くしているので、30年近く、がんを取り巻く状況を見てきました。当時を思い起こすと、父は何も知らされずに亡くなったんですよね。家族も伝えない、お医者さんも伝えないというのが一般的だったので、父は「なんで病院から帰れないんだ」「なんで腹水が溜まるんだ」と言いながら亡くなりました。「がん=隠すべきもの」という考えは、今ではだいぶなくなっていますが、まだまだこういったイメージを持っている方はたくさんいます。このイメージも、今、罹患する人を苦しめている要素の1つなんじゃないかなと思います。最近では、働き盛りの人が罹患することも多いですからね。

一方、がんであることを当事者に伝え、治療方法を選択できるようになったのは、非常に良いことだと思います。がんに罹患した後どう暮らしたいのか、どう働きたいのかは人それぞれです。ただそこで課題となってくるのが治療方法を決定していくうえで、患者自身の知識が追いついていないということです。がんに罹患した人は「なった瞬間」が最もショックが大きいと思うのですが、なった瞬間は多くのことを短期間で決めていかなければならない時期でもあります。少なくとも、がんには様々な種類があり、科学的根拠に基づいた治療方法や様々な選択肢があるということは、治療を開始する以前に知っておくべきでしょう。知らなければ、判断することも、選択することもできませんから。治療方法を選択できる時代になったからこそ、こうした新たな課題も出てきているわけです。

がんに関する取材や活動を始めた頃の私は「健診に行ってください」「早期発見が命を救います」ということしか言えていませんでした。しかし、自らが罹患したことで、罹患した後のことを知り、準備しておくことがいかにその後の人生を左右するのかを痛感しましたので、今はこのことを皆さんに伝えていきたいと思い、活動をしています。

1日でも長く生きていけば、より大きな希望が生まれる

Q.具体的にどのようなことを伝えているのでしょうか?

乳がんに罹患する前の方に対しては、主に治療方法の多様性を伝えています。乳房は再建できるし、温存するか、全摘するかも、選択することができます。このことがわかっているだけでも、ご自身がいざ罹患したときや、周りの方が罹患したときの安心に繋がるはずです。私自身、罹患するまで、何回も針生検を経験してきました。その度に乳がんについて調べていたからこそ、罹患がわかったときも冷静さを失わずにいたと思うんです。

そして罹患された方に対しては、がん治療の進歩についてお話させていただくことが多いですね。私が罹患してから4年ほど経つのですが、この4年の間にも新しい薬がどんどん開発されて、実際に使えるようになっています。母が治療したときとも、私が治療したときとも、今の治療方法は違います。1日でも長く生きていけば、今後ますます取れる選択肢が増え、使える薬も増えていくはずですから、決して諦める必要はないと思うのです。

これはすごく大切なことなのですが、「ステージ4」と「末期がん」は全然違うということもお話させていただいています。再発されるとものすごく皆さん落ち込むのですが、再発してからもずっと生きている方も多くいらっしゃいます。次から次へと新しい治療法や薬が出てきている今、すぐに命を失うことには繋がらない状況になってきているので、どうか希望を持って欲しいと思っています。

加えて、自分の状況を書き記すこともおすすめしています。どんな副作用があって、自分がどんな精神状態でいるのか。これを書き留めておくと、お医者さんとお話するときに役立ちます。最近では、こういったことをレコーディングできるアプリも出てきていますから、自分にあったものを活用していただきたいですね。

Q.がんに罹患してから考えや生き方に変化はありましたか?

「やりたいこと」と「やりたくないこと」、そして「自分がやるべきこと」と「人に任せられるもの」をちゃんと分けるようになりました。言い方を変えれば、罹患してから人に頼れるようになったと思います。自分1人で抱え込むのではなく、今自分ができることをやる、できないことは誰かに任せて進めてもらう。このほうが、世の中うまく進むとわかったんです。それまでの私は、どこかで「自分1人でやって成果を上げていかなければならない」と思い込んでいたのだと思います。手を繋いで一緒に進んでくれる人を増やしていったほうがより前に進めるきっかけになるのだと、罹患してようやく学んだ感じです。

こんな風に思えるようになったのは、がんに罹患した先輩にこう言われたからです。

「できることだけやっていけばいい。できないことを無理してやってそのために無駄な時間を使うんだったら、できることをやって伸ばしたほうが絶対いいから」

この言葉で私は前を向かせてもらったので、受け取った言葉を誰かに伝えていかなければならないと思っています。

がんに罹患しても元気に生きているからこそ、私が発信していく意義がある

Q.ご自身のドキュメンタリー番組の制作や書籍の出版に際して迷いなどはありませんでしたか?

自分のドキュメンタリーを撮らないという選択も、もちろんできました。ただそれだと、自分が今まで取材してきた患者さんに対して失礼なんじゃないかと思ったんです。取材に伴い、聞かれたくないことを聞いて、言わせたくないことを言わせてきてしまったところもあると思いますので。それを考えると、私は自分で自分のドキュメンタリーを作るべきだし、私が隠れてしまうと「乳がん=隠すもの」という世間の認識を変えられないんじゃないかと思ったんです。

 

書籍に関しては、ご縁がきっかけで出版させていただくことになりました。私ががんに罹患した頃に、会社ががん患者のリアルをつづったWebメディア「SODANE」を立ち上げたのですが、このメディアの反響が北海道に留まらなかったということが大きい気がします。書籍は、自分が作りたいと言って作れるものではありません。「本を作りませんか?」というお声がかかって初めて成り立つものですので、ご縁をいただけて本当にありがたかったですね。

きっと、何かを残したいのだと思います。がんに罹患したとしても、罹患しなかったとしても、人の命には絶対的な限りがあります。ずっと作り手として生きてきたので、乳がんに限らず、作品を作り、置いていくというのは、私の人生の中でごく当たり前の作業だったのかもしれません。

Q.「がんを伝える」にあたり、どのようなことを意識しているのでしょうか?

ドキュメンタリーを作ること、本を出版することについては、そこまで大きな迷いはありませんでした。ただ、どこまで伝えるかについてはすごく迷います。ドキュメンタリーって、人の人生をお預かりして作るもの。放送された後、その方がどういう風に思われるかまで想像し、ご迷惑をかけてはならないという気持ちで作りますし、やはりその方自身に「取材されて良かった」って思って欲しいんです。一方で、ドキュメンタリーによって世の中を変えたいという強い気持ちもあります。そのせめぎ合いなわけですよ。どこまでギリギリの発言を使って、どこまで撮るか。その作業を自分自身でやらなきゃいけないというのは、なかなかしんどかったですね。

最初のうちは「ここまでは公開していいけど、ここからは公開したくない」という気持ちもあったのですが、撮っているうちにどんどんなくなってきて。ほとんど公開しています。ただ、誤解だけはさせたくないとは思っていました。がんの症状や治療方法は千差万別ですから、どうすれば誤解されないのか、人に迷惑をかけないのかということには、非常に気を遣いました。気を遣わなければならないところはたくさんありますが、がんに罹患しても元気に生きているからこそ、私が発信していく意義があると思っています。 

がんが寛解した方の多くが、自身の生活について語らなくなります。これまでドラマなどで描かれてきたのも、亡くなるまでのストーリーが多かったですよね。実際には、がんになっても元気で長生きしている人はたくさんいるのに、これらが「がん=死」「がん=触れてはいけないもの」というイメージの払拭を妨げる一因となっていると思うんです。だからこそ私は、最低でも10年は発信を続けることを自分に課しました。

後編では、阿久津さんが発信し続ける理由でもある「がんと共に生きることができる社会を構築していくこと」についてお話を伺います。

後編はこちら→

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