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株式会社encyclo 代表
水田 悠子さん
【子宮頸がん体験談】がん治療後にリンパ浮腫を発症した[元化粧品会社社員/女性起業家]が会社を立ち上げるまで・前編

2023.03.09

株式会社encyclo 代表 水田悠子

「リンパ浮腫」とは、がん治療の後に発症するケースが多い疾患です。今回、お話をお伺いしたのは、リンパ浮腫の方に向けたビューティー事業を展開する株式会社encycloの代表、水田悠子さんです。水田さんは、ポーラ・オルビスグループで勤務中の20代で子宮頸がんに罹患され、治療後にリンパ浮腫を発症。復職後、2020年にencyclo(エンサイクロ)を立ち上げました。精力的に活動される水田さんですが、罹患当時や治療後は、ふさぎ込んでいた時期もあったのだとか。水田さんが、がんやリンパ浮腫に罹患された経緯とともに、会社を立ち上げられるまでに至ったお気持ちの変化についてお伺いしました。

水田 悠子

東京生まれ。2005年(株)ポーラに入社し、販売現場や、新商品の企画開発を経験。2012年29歳のときに、子宮頸がんを罹患。1年あまり休職して治療に専念した後、同職場に復帰。

2018年よりオルビス(株)に異動後も商品開発に携わる。2020年5月、ポーラ・オルビスグループより(株)encycloを創業。

仕事・遊びに全力投球していた20代にがんを発症

Q.がんを発症したのはいつですか?

子宮頸がんに罹患していることがわかったのは、29歳の頃です。

当時は、会社で少しずつ責任ある仕事を任せてもらえるようになってきていて、プライベートでは友人とルームシェアしたり、結婚を見据えたお付き合いをしていたり……忙しくも充実した毎日を送っていました。

何度か不正出血があったので受診したのですが、がんと告知される少し前に出血が多くなって。

今はネットでいろいろ調べられる時代ですから、自分の症状から「子宮頸がんになりかけの状態なのかもしれない」と半ば覚悟していたのですが、「なりかけ」どころか「子宮は残せない」「今すぐ治療を」という、自分の予想をはるかに上回る深刻な告知を受けて、何も考えられなくなってしまいました。

Q.がんに罹患したあとの生活はどのように変わりましたか?

告知の翌日から治療中の1年2か月はずっと休職させてもらいました。

幸いにも治療自体はスムーズに進み、治療後は生活に支障が出ない状態まで回復しました。

ただ、身体は回復しても、心のほうは元通りとはいかなくて。「再発が怖い」「これから仕事できるのだろうか」「結婚できるのかな」「何を頑張っていけばいいのだろう」……このように、さまざまな不安を抱えていました。患者会にも参加してはみたのですが、しっくりくるコミュニティにはなかなか出会えませんでした。

がん患者で20代や独身の方は少ないので、患者会で話される話題の多くは子育てや家族のことばかりで、独身の私にはあまり身近に感じられる話題ではなく。

そんな中で、「ここだ!」と思えたのは、39歳以下で罹患した人が集まる「STAND UP!」という患者団体でした。もちろん、すぐに罹患前のような心情に戻れたわけではありませんが、ここで出会った友人は今でも私を支えてくれています。

術後2か月で感じたあしの違和感……リンパ浮腫発症の経緯

明るく語ってくれた水田 悠子さん

Q.治療後のお気持ちや体調の変化は?

がんになる前は、仕事中心の毎日を送っていました。おしゃれやメイクが大好きな私が新卒で入社したのは、大手化粧品会社でした。

ちょうど新しいファンデーションの開発リーダーを任せてもらったタイミングでがんが発覚し、告知を受けてからは、仕事のことが一切考えられなくなってしまいました。言ってしまえば、「肌のカバー力とか透明感とかどうでもいい!」と思ってしまったんです。

だって、ファンデーションがなくたって人は生きていけるし……と。私自身も、おしゃれや美容のことは考えられなくなっていました。

加えて、手術後、2か月ほど経った頃にリンパ浮腫を発症しました。

がん手術の後遺症とも言われていて、生涯向き合わなければならない疾患です。

リンパ浮腫によって片方のあしが太くなってしまい、分厚く、不自然な見た目の弾性ストッキングを常に履いていなければならず、自分が着たい洋服や履きたい靴が選べなくなってしまいました。どうしても、脚の太さの違いや弾性ストッキングが目立たないものや、タイトなフォルムではなく身体に負担がかからないものを選ぶようになってしまっていましたね。

Q.リンパ浮腫を発症してから生活は変わりましたか?

最初の頃は、日常のケアにも苦労しました。

リンパの流れを良くするため、起きている間は常に分厚い弾性ストッキングを履かなければなりません。これは一生続きます。

また、肌のちょっとした炎症から蜂窩織炎(ほうかしきえん)という合併症を発生してしまうため、肌のケア、特に保湿はかかせません。私の場合、痛いとかだるいといった症状はあまりありませんが、日常生活における「制限」を強く感じます。

encyclo創業の背景と想い

起業するきっかけになった弾性ストッキング

Q.どのように心が回復し、起業するまでに至ったのでしょうか?

治療後、身体は良くなっても心がまだ元通りになっていない中、そしてあしのケアを続けなければならない中での復職。当然ながら、以前のように仕事には身が入りません。このような状態に、罪悪感を持っていました。この気持ちに変化が出てきたのは、罹患から5年が経った頃です。

この頃、自分や周りに大きな変化がありました。

まずは寛解の目安のひとつとしていた5年を無事に迎えられたことで前向きになれました。そしてもうひとつは、患者会で出会った友人の取り組みです。

私はそれまで、治療後は「がん経験を引きずって生きる」あるいは「がんを忘れて生きる」の二択しかないと思っていて、どちらも選べないと悩んでいました。

しかしこの友人は、自分の経験を活かしてがん患者さんのスペースを作る活動をしていたんです。この取り組みを見て「がんになったという経験を人のために活かせることもあるんだ」と気付かされました。さらに、私が勤めていたポーラ・オルビスグループでも大きな変化があって。

この頃から「社員一人ひとりの感受性や美意識を尊重する人材開発」が、新たな経営方針のひとつとして掲げられたんです。

それまで、がんになったのは私個人のことであり、会社にとっては関係がないことだと考えていました。

だからこそ、治療後に仕事に身が入らない自分に罪悪感を抱いたし、キャリアに後れを取っている自分に自信が持てなかったんです。

でも、時間の経過やいろいろな方との出会い、会社の方針を通して「がんを経験した私だからこそ、会社のためにできることがあるんじゃないか」と考えるようになってから、大きく変わりました。

おしゃれも美容も諦めて、これから30年間、会社に貢献できずに身が入らないままずっと仕事していくのかな……と考えていた私ですが、心が元気になるにつれ、罹患する前のように「おしゃれや美容を楽しみたい」「人生を楽しみたい」「仕事で誰かの役に立ちたい」と思えるようになったんです。この3つを一手に叶えられるというのが、encyclo創業の理由です。

Q.なぜ「ビューティー」をテーマにした会社を設立したのですか?

がんを経験された方へのサービスは今すごく充実してきていて、民間の就労支援やがん保険など色々なものがあります。

お金や仕事、生活……そのすべてが大事ということは当然なのですが、私はこれまで「自分を美しくする」ことが好きであり「人を美しくする」ことを仕事としてきましたこの経験や強みを活かせるのは、やはり「ビューティー」の領域。

encycloは「すべての人の、美しくありたい想いを解放する。」というミッションを掲げています。私が、これまで心の奥に押しやっていた美への想いを、いろいろなきっかけを経て解放できたように、多くの方が美しくありたい想いを解放する助けや、きっかけになるような商品・サービスを提供していきたいと考えています。

後編では、リンパ浮腫ケアの課題やencycloで販売されているケア商品の開発経緯についてお伺いします。

後編はこちら→

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